2018.3.16

隠れていたかった。

ブログを公開する時恐れが出たけれど

公とはいえ、無に向かって発しているように思えるところもあるなぁという感じがしていて

ところが、メッセンジャーのコースのグループで発するのは

限定された、それも同じ学びの中にいるコミュニティであるのに

そこで発するということは、罰されるような感じがしてしまう。

勉強会でシェアをしているのに

メッセンジャーで書くことに

特別なものを見ようとする。

だから普段からあまり書き込めない。

なぜか、英文の和訳のメッセージに

返信をしてしまった。

勝ちたいとか、うわまりたいとかいう思考からではないか、を見ながら。

もちろんないわけではなく、

だからそれを見て、微塵でも見えたのだから

書き込みをやめようと思ったのだけど

やめられなかった。

そこから、このサポートをする、と言う(立候補する)

ということを強く強く言われていることを感じて

すごく怖くなった。

通訳のようなことをするには、聞くことができればいいわけではない。

聞くことができると言っても

すごくスローだし直感的だし

何より、こちらから何かを伝えるという点が猛烈に不安だ。

つまり、大して役に立つようなレベルにはない。

それなのに、これをやるんだよ、と言われている。

わけがわからなくて

私はどんだけ自分ができる人間だと思っているんだろうと

本当に「自分」を棄てたいと

メッセンジャーから離脱した。

でも、申し出るように、という声は消えない。

それも、何日か前に英語はどのくらいできる?というのりこさんからの

雑談のようなメッセージのやり取りの時にも

申し出るように言われている感じがしたことを思い出した。

離脱したけど、みんなのやり取りが続いているようで

着信音が鳴り続いていたから

しばらく見ていた。

どんな風に申し出たらいいのかわからなかった。

申し出ていいのかもわからなかった。

仕事がひと段落して、深夜、メッセージを書くように言われて

グループの方ではなく、個人的にのりこさんにメッセージをしようと思ったのだけど

即座に打ち消された。

 

ただただ、仕える、従う、献身ということに占められていっているようだ。

自我が打ちのめされている。

 

 

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