2016.3.28

<p>25日から寝込んでしまい、27日に復活。<br>

おかしいのは、25日も26日も、吐き気もあり、這うような状態なんだけど、母の送迎や必要なことはやってしまえてたこと。<br>

まったく、信じすぎだ、と思いながら、やることやったらまたバタンとなるんだけど、なんか今回は、寝なきゃいけない感じ、休まなきゃいけない感じがした。<br><br>

23日に愛を求める懇請、のことを教わり、ビデオを見続け、テキストを繰り返し読み、聖霊の見方、と一瞬、たぶん本当に一瞬だと思うのだけど、それは確かに、その見方がわかって、わかってというのは、自分に一致した感じなんだけど、そうしたら、物凄く物凄くほっとしたというか、ほどけた感じになって、満たされていって、嬉しさとありがたさでいっぱいになった。<br>

24日に、このところコースの話をしてほしいということで話をしている人と会ったのだけど、その人は、いつも、話してほしいと言うし、質問とかもあるだろうに、会うと、何も話せなくなってしまって、泣くばかりだし、話もよくわからないようだった。コース、どうなんだろと思ったりもしていたけど、本人はそれでも諦めない感じなので、続けていたのだが、ここ数回、わたしが赦していないな、と遅ればせながら気づいて、なかなか赦せずにいた。<br>

24日も普段通り会を始めたけど、わたしの何かが違っていて、結局、いつものような彼女はいなくて、話こそは挟んでこないけど、泣かずに大きく頷いたりしながら聞く彼女で、それは別人のようで、なんだかわからないけど、猛烈にありがたさでわたしが泣けてしまった。<br>

愛を求める懇請、ということがずっとあって、それを深く浸透させてもらえてる感じがして、わたしのために聖霊が彼女を使ってレッスンしてくれている。それを、わたしはいつも個別の〇〇さん、という彼女と見ることをやめなかった。<br>

その話の最中、前日に会った友人にたまたまコースの話を少ししてしまったのだけど、その話がとても良かったからもっと知りたいので、知れる本があるなら教えてほしいというメールがきて、感動した。<br>

彼女とはわたしがコースを始める頃からしばらく疎遠になっていて、特に何かあったわけではなかったけど、久しぶりにお願いごとかたがた会ったのだけど、その席でさわり程度とはいえいきなりコースの話ってことになってしまったわけだが、話させてくれてありがたいなぁと思っていたけど、本を読みたいとまで言うとは思わなかったので、嬉しくもあった。<br><br>

もっともっと、神に献身したい、という気持ちになっていたところで、25日、バタンといった。<br>

水、たくさん飲んだんだけどな。笑。<br>

倒れている間、わけのわからない夢をたくさん見た気がする。わけもわからないし、意味のない夢。<br>

復活して、あの寝ている間の夢も意味のないものだし、今も同じ夢なんだよね、と思ったが、意味をつけようという強い動きがあることもわかる。<br>

でも、ずいぶんスッキリした。<br></p>