2016.5.13

<p>東京で、伊藤若冲展に行ったときのこと。<br>

ものすごく混んでいて、70分近く入館までかかった。<br>

その間、周りに並んでいる人たちが、いろいろと仕掛けてくるんだけど(勿論、仕掛けてなんかないけど)<br>

そのたびに、神から離れるなんてできてないし、していない。罪はないんだ。でも、罪を見たいし、擦りつけたいと猛烈に思うくらい、できたと、罪があると、信じてしまっているんだなということを静かに認め、聖霊に捧げていた。<br>

本当に聖霊の仕事は完璧で、わたしが何もしなければ、障壁は鮮やかに取り除かれる。<br>

猛烈な混雑なのに、周りの兄弟の見せてくれるいろんなことに反応することもなく、混雑過ぎてゆっくり見れないにもかかわらずイライラすることもなく(いつもなら間違いなくイライラしている)、楽しく見ることができた。と言っても、本当に混んでて、絵を鑑賞したと言える感じではなかったけれど。<br>

でも、たまたまあまり人が立ち止まらない梅の絵を少しじっくり見ることができて、間近でじっと見ていたら、ハートがあったかくなって涙が溢れた。<br>

小さなたくさんの梅の花やつぼみ、苔に至るまで、何の差もなく描いていて、そして、とても楽しく心の底から楽しく描いているのが感じられて、それがどうにもふるふるとしてくるんだ。。。それで、思った。みんな、これを感じるからこんなにも集まってきているんじゃないかなと。もちろん、アタマでは、有名な人の美術品だからとか、テレビでやってたからとか、美術が好きだからとか、そう思っているかもしれないけど。なんか、あの天国感には惹きつけられちゃうんじゃないかしら。。。<br>

そんなこんなで、とにかくあたたかく、嬉しく、楽しく、大混雑の中を過ごせたなぁと、数日後になって思い出したのでした。<br></p>