2016.12.9

また学習会に参加するので、のりこさんから予習用の映像アカウントをいただいて、見ている。

でも今日は、昨夜見た公開映像の方を

も一度見たいと思って(昨夜は寝てしまったから)

2回見た。

1度目はなんていうか、流し見。

でも、もう一度、と思って、もう一度見たとき、

浮かんできたことが、

ドロップアウト

という言葉だった。

一年やったんだから、ということと、

なんだかどうも、感じていることを話せない、

違うことを言っている気がするとか、

準備してしまうとか、

勉強会での自分に苛立ちみたいなものを感じたりして、お休みしたけど、

お休みしようと思うんだけど、そうするとドロップアウトした、脱落者な、負けなわたし、

みたいに思うからそれは嫌で、

でも、負けたくないからといって参加し続けることもできず、

あーもうだめだーと、のりこさんへの連絡を取らなくなったんだ。

脱落、という言葉が浮かぶたび、いや、そうではないよ、わたしはこうこうこういう理由で、大丈夫だから、ポジティブなお休みなの。とか、

なんなら、参加しなくてももう大丈夫だから、みたいに思っていて、それは抑圧だったのだな、と、わかった。

内側に向かっていくことがとても嫌だった、

ということを認める。認める。

負けたくなかったし、

でも、ドロップアウトした脱落者で、わたしは負けなのだという思いもあった。

でも、それも認めないようにしてたし。

YouTubeを時々止めながら、のりこさんのお話しをノートに書いて、

これを聞くことができる導きはありがたいなぁとあったかいものが溢れた。

自我と同一化していたーい

投影していたーい

個別性手放したくなんてなーい

って言っている自分の思いをしっかり認めていればいい。

そして、でも、わたしは幸せを選びたいんだ、という懇願を聖霊にする。

頼る。

正気になりたい!正しさはもういらないんだ!と懇願する

そうしていこう。

これがわからなかったんだ。

できなかったんだ。

ありがとうございます。