2016.12.7

母がいま酷い腱鞘炎で、右手が殆ど使えない。

ほぼ毎日治療に行っているけど、1か月経ち、治るのか不安になっている、と訴えてくる。

いつも、叱ってしまう。

わたし:どうして何でも自分でやろうとするの?

母:迷惑かけたくないから、、

わたし:使わないようにすることが一番なんだから、家事をやろうとしないでね

 

今日もまた治るのか不安になると言い始め、更に、もう何にも良くならないんじゃないかと弱気になる、とかまで言い始めた。

聞きながら、わたしの中に

それは身体を信じればそうだけどとか、理論が上がってきた。

そして、猛烈に、わからせたい、そして罵倒したい、みたいなものも湧いてきた。(いつものように)

でもそのときなぜだか

兵士の耳をイエスは治したってことを、ふと思った。

のりこさんのセリフも思い出された。

「助けてと言ってるんだから、助けてあげる以外何があるだろう。」

そして、そうだね、と母の話を黙って聞いた。

聞いていて、胸の奥の方がぐわ〜っとなって泣きそうになって、我慢した。

わたしの助けてだというのが、ほんの少し見えたんだ。

でも、わたしはイエスのように治してあげることはできないとも思った。

聖霊にどうしたらいいのか、聞いた。

いま、これを書きながら、たぶん答えがやってきた。

その、黙って聞く、助けてと言っていると見ることが、癒しているんだ、みたいなことを言われたように思う。

またなんだか涙が溢れてきた。

そうか、と思う。

のりこさんが言っていたように、本当に

「癒されたくない」

と思っているのも、いま、よくわかった。