2017.9.4

テーピングを昨日から始めた。

痛みが少なくなり、頑張れば経糸が張れて嬉しかった。

 

治療院に行った。

来るように言われていたけど

徒手療法ではこの関節は痛くて嫌だなと思っていたから

間を置いてしまった。

その間にせいげでへバーデンという診断も受けたし

痛くてテーピングもしてるし

で、少し行くのは気が重かった。

裁かれるであろうという思考がこれだな〜と見ながら

順番を待った。

 

へバーデンと腱滑膜炎と言われたと話したら

まだ話途中から食い気味に

何でもかんでも炎って言えばいいと思ってるからさとか

医者に対抗する院長の主張が始まった。

これが嫌だったんだよ。

どっちのいうこともわかる。

ついでにどっちでもいいんだよ、こっちは。

でも、医者は診断するのが仕事だし

そうわかっていながら、診断できない悔しさなのか必ず反論を

患者の私にぶつけるんだ。

間に挟まって、どうすりゃいいの状態じゃないか。

それは院長の主張だろうけど、私に言われてもって

言いたかったけど言えないしな、と思っていたら

だんだん腹が立ってきた。

だんだん板挟みでムカついてきた。

どうしようもなくて涙が出た。

痛いのはこっちだ。

医者の悪口とかどーでもいい

鼻かむのも痛いのに

そんなのってなんだよ

来るんじゃなかった。と思った。

 

治療を受けながらもまだ涙が出た。

思考と涙がこみ上げて仕方なかった。

 

こみ上げるまま、そのエゴエゴはきえてゆく姿だから

裁かず吹き出させた。

夜、妹にもラインでまだ残っている残骸のようなのを

吐き出していたら

また泣けてきてごうごう泣いた。

そうして吐き出しに吐き出していたら

私は、両手を広げて優しく迎えてくれようとしている

神の前で

唾を吐きつけ、気に入らねぇと言っているように見えてきた。

癒してくれようとしている、痛みをとってくれようとしている人に

文句を言って、気に入らなくて、ムカついて

お前のいう通りになんかなるもんかと思っているのだ。

いう通りになることが、癒された、痛くなくなった、ありがとうとなることが

嫌だ、癪だ、気に入らない、絶対そんな風にはならないと思っている。

治して欲しいと思っていたくせに。

自分で見つけた方法ならいい。

こいつに言われた通りになんかしたくない。

なんでこいつのわけのわからない主張を聞いて、哲学みたいなゴタクに付き合って

その上、治ってありがとうと言わなきゃならない?そんな屈辱嫌だとかいうのが出て来るんだ。

ヒッチャカメッチャカで、おかしいのはわかるんだ。

わかっちゃいるけどやめられない。

この狂った思考を吐き出すだけ吐き出して、ロープから手を離すしかないというか、

そのための追い込まれ感なような気がしている。