2017.10.19

このところ猛烈に忙しい。

物理次元では、忙しくなること、というか

仕事が充実していくこと、上手くいくこと、のようなことを

ずっと以前は望んでいたので

それが実際、そうなっている、というふうに見ることはできると思う。

だから、この世的にうまく回るようになってきている、というふうに

喜ぶわけでもない自分を、おもしろいというか、不思議というか

でも、そうだよね、と思う。

(一方では、身体的不自由というか、病気のようなものもあって、困難、のようなものがあるから、全てがハッピーということでもない、という投影も忘れていないあたり、自我は抜かりないが)

喜ぼうという思考はもちろん、上がってくる。

それを本気で掴むことがなくなってきている。

 

もちろん、仕事があって、あとどのくらい一緒に居られるのかわからない母に

望むものをプレゼントしたり、美味しいものを食べに行ったり、

国や県や、そういうところに税金をちゃんと払ったり、

そういうことができることはありがたい。

でも、おごりではなく、普通のことだったんだなぁと実感している。

それが、こんなにできなくて、でもやろうと思っていて

でもそれにはこんなこんなうまくいかないことがあって

それを乗り越えていく困難、とか、頑張り、とか

そんなことを深刻に深刻にしていたんだなぁ、、、

 

とはいえ、この世が忙しいと、なんだか浮ついてくるのも感じている。

あわあわと「やらなくてはならないこと」にうつつを抜かして

さまよい出ていることが多いのではないかなと思う。

これが今のレッスンなのかな。

ただただ神だけを求めていたい。