2017.12.21

荒れに荒れた。

 

きっかけなんてほんの些細なこと。

 

前日が確か、この一つ前のブログを書いた日で

 

『グレッグさんは言った。

 「のりこをかわいいと思うし、僕はのりこを愛しているよ。

 だけど、

 これは”グレッグ”の愛じゃないんだ。

 神の愛なんだよ。」

 。。。

 その光景は、まるで

 2000年前?に

 

エスが、木のテーブルに座っていて

隣にマグダラのマリアがいて、

 

 キスをして、

 

 その後にイエス様がそのまま話したであろうことを

そのままにお話されている。。』

 

という順子さんのブログに打たれたんだ。

 

 

ところがその翌日、一転、些細なことをきっかけに(利用して)

 

猛烈に怒りや憎悪が吹き出し、

 

 

コースなんてもうどうだっていい

 

 

聖霊?フザケンナ!もう二度と信じねーからな

 

 

殺してやる!

 

 

殺意や憎悪や怒りが噴出して噴出して

 

もはや一体化を免れず

 

 

いや、むしろ、

 

 

一体化したままでいたいのだ

 

 

ということがものすごくはっきり見えたんだ。

 

 

もう、一体化していたい、ということを

 

どうする気にもなれず、どうすることもできず

 

毎日が過ぎた。

 

頭の中に、コースの文言を思い浮かべてみるけれど

 

子供が文字を学ぶ時に使う知育玩具が

 

頭の中で言葉の体で並んでいるだけみたいな感じだった。

 

 

 

ふつふつと怒っている毎日みたいな感じに過ごしていて

 

そうか、私はこんなにも信じているんだな

 

ということがようやくわかってきた。

 

 

信じていることを隠して

コースを受け入れているみたいにしていたんだ。

 わかった気になっていただけ。

のりこさんの言葉を聞き

兄弟たちのブログを読み

そうだそうだ、と確かに思う部分はあるし、それはそうなんだけど

それでわかったのだということにしていただけ。

 

必要だった実践というか、実体験というか

隠しているものが実際に出てくるということは

起きるんだな。

洗いざらいのバケツがひっくり返るみたいなことは、起きなきゃいけないんだな。

 遠巻きで体験した気にさせていただったんだなぁ。

 

ようやくここ数日で、ここに至った。

 

今朝、ラジオからゴダイゴ銀河鉄道999が流れて

好きな曲だったので

歌いながら聞いていたら

ハッとした。

神の元を離れて行くことを歌っている歌じゃないか!

 

さあ行くんだ

その顔をあげて

新しい風に

心を洗おう

古い夢は

置いて行くがいい

ふたたび始まる

ドラマのために

あの人はもう

思い出だけど

君を遠くで 見つめてる

 

そうさ君は

気づいてしまった

やすらぎよりも

素晴らしいものに

地平線に 消える瞳には

いつしかまぶしい

男の光

あの人の目が

うなづいていたよ

別れも 愛のひとつだと

 

 

泣けて仕方なかった。

「あの人はもう思い出だけど」

思い出なんて嫌なんだ、思い出したい!

もうやめよう。

もうやめたい。

聖霊、わたし、暴言を吐きまくりましたが

もうやめたいんです。

どうか助けてください。