2018.7.1
5月のリトリート合宿からの1ヶ月、6月の東京シェア会と合宿。
これまで見ないふりをして隠していた自己憎悪たちを
一段と深く見つめ続けなくてはならなくなっているタイミングでの
6月のシェア会&合宿は、
何がどう、と説明できないけども
深まったように感じている。
それにしても、「神の小屋」を観ている間
すごく抵抗している自分が意外だった。
溶けてなくならないように、全力で抵抗していた感じだった。
フッと油断したら、一瞬で溶けてなくなってしまいそうだから
感じないように感じないようにしていたようだった。
5月のリトリートで崩れて、ここからはもう、
神との一体性に溶けて溶けて行くものなのだろうと思っていたから
あらら、という感じ。
合宿中、クリシュナ・ダスさんの演奏をみんなで聴いたのだけど
初めて聴いた時、それがすごく嫌で、
浮かんだのは、マトリックスでネオのお腹から虫を吸い取るシーンがあるけど
クリシュナ・ダスさんの音楽を聴いていると
自分の中の虫がぎゅーっと吸い取られるみたいな感じだった。
最終日に聴いた時、ようやく落ち着いて来て
そうしたら、空間と、そこにいるはずと思っている人たちと
つまり自分と周辺に境目がなくて一体、
というような感じになっていて(擬音とか、表現が浮かばない)
その感覚が強まっていくと、自分という感覚が減っていく、ということも感じていて
この感じている、というのはなんだ?誰だ?みたいな。
どんどん拡がって行って、消えちゃう!みたいな感じになって
ちょっと怖くなってエイっと目を開けた。
不思議な感じだったな。。。