受け取るレベル

今からする話は自我の領域での話の部分もあるとは思う。

 けれども、意図はそこには無い、ということをあらかじめ自分のためにも書いておく。

 

以前にテレビでどなたかが話していたことなのだけど

例えば、ホテルのサービスで

非常にきめ細かなサービスをしてくれていても

それに気づいて、なんて素晴らしい配慮をしてくれるのだろうと

受け取ることのできる客のレベルがなければ

高いサービスも無に終わる、

みたいなことを言っていて

見えない努力のようなものも、感じ取る受け取る側の能力というか

レベルがあって成立するようなところが実はある、というようなことだった。

その時は自分の商品や講座の準備などのことで

言わなければ伝わらない試作の回数や工夫のようなものに

思いを至らせてくださることのできるお客様や

生徒に出会った時に報われたような気がしていたので

(ということは、明らかにスルーしているという相手の時、怒っていたわけだけど 笑)

わかってもらうことが目的ではないから、やろうと思うことはやるのだけど

全く伝わらないことも多々あるということを実際自分が目の当たりにしてきていて

それは受け取り手のレベル、ということはまぁ、言い得ているだろうなと思っていた。

少し上から。苦笑

自分の反映なのだけど、相手を攻撃したい思いからこの話を

そうだよね、そうだよねと聞いていたなと思うんだ。。。

 

けれども、数日前の勉強会でのりこさんの話を聞いていて

やはり、受け取るレベルってある程度あるなと思った。

ユタでのりこさんが参加者としてイベントに参加していた時

調理場の人たちを見て

小声でティーチャーたちにコーヒーを出すことを指示するカースティンを見て

宿泊棟が増えていることを見て

何を受け取るか、どう受け取るかはそれぞれのレベルだ。

私はのりこさんの受け取る角度を聞けるところに在ることができて

その導きがありがたい。

のりこさんを賛美したいのではなく

けれども、全てを捧げて自分の解釈を捨てたところから

きめ細やかにたくさんのことに気づいて

伝えてもらえること

実践してもらえていることは本当にありがたく、頭が下がる。。

チェーンリアクションと真紀子さんが言っていたけども

この世界では、伝わっていく時、得てして一番の師から伝えられることが

小さくなっていくことは良くある。

途中の師がセーブをかけるからだろう。

そういうのもたくさん見てきた。

わずかでも自我があったなら、そりゃそうなるよね、と思う。

 

小さくすることなく、歪めることなくチェーンの一つであれるよう

全てを聖霊に委ねて自分を捧げていきたいと本当に思う。

 

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