話す

自分のやっていることを人に説明のようなことをしなくてはならない

ということが起きると

どのように話せばいいのか

怪しいと思われるのではないか

ということが頭の中を回り始めます。

理解されないということはとても恐ろしいこと、と思っているのです。

そして、きっとこれは理解されない、とも思っています。

それで、相手がどんな風であっても

動揺している自分や

わかってもらえるかどうかということにばかり

フォーカスをしている自分に気づきます。

これはとても居心地が悪く

いつもうまくいきません。

本当に内的状況の外的映像です。

 

この間、職場の人たちに話をしたという兄弟に

どんな風に話したのか聞かせてもらいたいと思い

zoomを繋いでもらいました。

私は、わかってもらわなくては、となってしまいがちだったのですが

わかってもらえなくても

笑われても

怪しまれても

それを受け入れる、ということ

まず、隠れない、隠さないということ

自分がこの哲学を学びたいという気持ち

自分がこれによって救われたのだということ

つまり、自分の気持ちを話すことなのだな、と

それを相手が笑おうが、怒ろうが、いいのだ!

別だからいい、のではなく

相手は自分だから

相手の反応のようなものを変えようとしなくていいのだ

自分の中にそれがある、ということを認めずして

どうにもならないのだから。

 

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