12/29

あの痛さを感じるの嫌だなと

9月以降、奥を見ることから

逃げてしまうようになった。

兄弟が一緒に見てくれて

しかもその兄弟は

私の思考を毎回、しっかり否定してくれて

泣いて良いんだよ

悲しかったよね

よくがんばったねと

声をかけてくれて

その声がなかったら

私は蓋をしたまま

やっぱり凍らせたままにしてしまっただろうと思う

何がどうなったのか

今、わからない

何かが大きく落ちたようにも感じる

けど、何も変わらない気もする

でも、なんだか腹のあたりがスースーして

ゆるゆるする。

だから自分一人では絶対に無理だったと思う。

 

今はとにかく、話を聞いてもらって

泣いて良いんだと

それを話して良いんだと

それはくだらないものなどではなくて

いい歳をした大人なのに…とか

もっと大変な人がいるかどうかを気にしなくてよくて

誰かと比較しなくてよくて

愛しんであげていいと、

ずっとずっと私に言い続けて

教え続けて

泣けなかった私を解放してくれて

本当にありがとうと思う。

 

 

3、4歳くらいの頃だったと思うのだけど

父が私の足首を持って逆さまにして納戸に投げ入れ

私は納戸に閉じ込められた

ということがありました。

父の私への八つ当たりのようなものは

ボックスティッシュの箱が飛んできたり他にも色々あったけど

この納戸の出来事を

すごく強烈に覚えていて

けれども全く感情が伴った記憶ではなくて

ただ、ひどいことをされた、という被害者的な認識ではあるものの

当時は泣いたと思うのだけど

大人になって思い出して話す時

私はいつも、こういったことを越えた今の私なのだ、

というところにいようとしていたと思うんです。

消化して、昇華して、強く今に至っている、と。

誰にも弱音を吐かず、嘆かず、泣かず、

そういえば、寂しかったとも、悲しかったとも

誰にも言わずにきたなぁと初めて思った。

家族にも言ったことなくて、なんなら自分でも認識してなかったし
だって、家族に言わないよね、言えない

聞かされても辛くなっちゃうでしょう、と思っていた。

父とのことを、辛いと考えないようになのかどうかはわからないけど

母や、祖父母や叔父叔母がみんなで色々とやってくれていたので

それなのに、父のことで寂しいとか悲しいとか言っちゃいけないとも思っていたと思う。

こんなに父以外の人たちから大事にしてもらってるから、と。

だから、自分で飲み込んで、大丈夫にならなくては、と。

自分の体験なんて大したことない、

だから辛かったとかという話し方はしないようにしよう。

したくない、と思っていたかもしれないと思う。

寂しかったとか悲しかったとか言うような

弱い人間だと思われたくなかったのもある。

強くあるべきで、強く明るく生きることが美徳だと信じていたから。

 

自分が我慢していたからだろう

震災後、辛い悲しい大変と訴える人を

いつまでもしつこいなと批判している自分に気づいた

まるで人でなしのようだが

泣いて訴える様子にとてもイラつくのだ。

何度もエピソードを語るのりこさんにもイラついたし

清里で直子さんが旦那さんの話をしている時にも

まるでようやく初めて打ち明けることができたかのように聞いてる

のりこさんに、これ何度も聞いてるわ 怒

なんでいつまで同じこと言ってんのって斬らないんだ?とイライラした

直子もな、いい加減自分で処理しろよって。

 

悲しいって、寂しいって言いたい

って自分がすごく思っていて、それをしている人を

妬んで、羨んで、怒っていたのだと今は思う。

 

でも、ここまで書いてきても、まだ

悲しい、寂しいと思ったとしても言いたくない

っていう踏ん張りがあるのを感じる。

寂しいよーーーー

悲しいよーーーー

と甘えるなんてとんでもないしみっともない。

 

大丈夫な人でいるために、ものすごく心を凍らせてきたんだな。

これが融けてしまうのはみっともなくて恥ずかしいことだと

言っている部分があるが

みっともなくて恥ずかしいっていう自分の大事にしてきた価値観が

間違いであることを望む。