ワークブック

ワークブックを1番からやり直している。
 
今日はレッスン4。
 
撮影から帰ってきた翌日に始めたのだから
本当はもう少し進んでるはずなのだけど
抵抗からだと思うのだけど、
2番をやるのに何日かかかってしまった。
でも、2番をやったら
このワークって私やったことあったっけ?
全く本当に私が与えた意味しか見てないんだが
こんな認識持ってなかったかもと思った
知的には理解していたと思うし
頭ではそんな話をしていたけども
これ、全く理解ではなかったんだ。。。
本当に”受け入れる”ということでなければ
やっぱり、わかることができないんだなぁ
と感じている。
 
ワークブックは一巡し終わっているし
その後も時々開いて見たことはあるけども
ずっと、どこか
ひとつ一つのワークを読むとき
そそくさと先を急いでいたなと思う。
ワークを伝えてくれているジーザスに耳を傾けて
そこにフォーカスを合わせて
チューニングをして
ジーザスに教えていただきながら読む
なんてことしていなくて
私のしていた読み方は
自分の自分による解釈によって己で読む
ってことを自動的にしているから
自前のフィルターで読んでいるなら
それは聖霊のおっしゃっていることを読んで教わる
という姿勢ではなかったよなーと今はすごく思う。
日本語で書かれているからわかるっちゃわかるのだけど
それが自分流の解釈だったり
そそくさとすっ飛ばしたり
わかってると思っているだけで
全くわかっていなくて
全くわかっていないことも
わかってなかったんだなぁと思う。
口ばっかりで。
 
 
ヨガを毎日やってるんだけども
できるようになりたいっていう思いが出てくるんだけど
それに向かおうとして過度に練習したり
できてる風にしたとしたら
どこかまもなく怪我をする
「ヨガにおいて(ポーズが)できてるかどうかは
重要なことではなくて
ただただ毎日練習をするものとして練習に取り組む」
と話している人をYouTubeで見て
あぁ、そうだよなー
やっぱり、できるってことに惹かれてしまうのだけど
聖霊が私に与えてくれてることおすすめしてくれてることは
何かをできるようになった私、になることではないのは明らかなので 笑
ワークブックも、ヨガも
練習する
生徒
なのかーと思ったらすごく心が伸び伸びとしてエクスパンションを感じた。