ありがたいと思う

のりこさんに用事を頼まれた。

喜んで、と思った。

母の病院の付き添いの時、いっぺんに済ませられるかな

という考えは浮かんだが

病院付近に着いた時、終わるまで散歩してきたりしていいよ

と言われたのだけど、そういう感じもしないし

ましてやのりこさんの用事を済ませてくる感じもしなかったので

そのまま一緒に病院に入って待っていた

もう一度待合室に座りながら、どうだろうと思うが

やっぱりここにいる感じがしていて

用事をこの一回の外出の中に抱き合わせにする感じではないなと思ったので

終わるまで待合室でアジャシャンティを読んでいた

(そもそも出掛けには、待ってる間の小一時間で

用事をしてこようと算段していた部分があったのに、

無意識に本をバッグに入れていたわけです 笑)

 

翌日、改めて用事のために出かけた。

ただ、ポストを確認してくるというファンクション。

入っていたら連絡をすることになっていたけど、入っていなかった。

また改めて確認に来る必要がある。

無駄足、ということになるのだろうが

そういう損失感みたいなものが探しても探してもなくて

押しやってるじゃないかと探すが、ない。

駅に向かって歩きながら浮かんできたのは

「東京に移住して良かったなー

今日のファンクション、させてもらえるなんて

移住してなかったらないもんなー

ありがたいなー」

という思いだった。

ありがとうと言われるかどうかなんてどうでもよくて

”光栄だな”と思っていた。

すごくハッピーだった。

 

個人としては用事も済んだし、池袋の駅で用事をして

さっさと帰ろう、夕方になったら電車混んでくるし

と思ったのだけど

出かける時に妹が

せっかく近くまで行くんだから久しぶりに預言カフェ行ってきたら?

と言ってチケットをくれたことを思い出して

待たずに入れそうだったら寄ってみようかなと

足を向けてみた。

全く空いていたので寄ることにした。

うっすらと感じていたことをはっきりと聞くことになりました。

ジーザスは本当にすごいです。

 

帰り道、ファンクションをさせていただいた上、

預言カフェにまで寄る機会をもらえて、凄すぎると思いながら駅に向かい、

そこからずっと、電車も、信号も、全てがスムーズで

まさに私の前の石ころや障害物はジーザスが全部取り除くということを

カタチとして見せてくださっていると感じていて

ふにゃふにゃと崩れながら他のいくつかの用事を済ませ、

それをやってもこんな早く帰れるのという時間に家に帰りました。

本当に時間も空間も調整されたと感じたんです。

 

損失とか恐れとか、ファンクションに関して

いつもあった抵抗の思いのようなものが

自分から全く消えた、ということを

このブログに書きたかったのではないです

むしろずっと出るだろうと思っているし

出ることに対して開いていきたいと思ってる

恐れが上がってくるときは、いい気分ではないけども。

 

このブログは、真実を自分のために書いておきたい

自分がすぐに自我の抵抗や恐れに取り込まれてしまうから

自分に教えるために書いておきたいと思って書きました

 ほんの小さな出来事だし

奇跡体験としてシェアするには小さすぎて笑われるよきっと、と

危なく流してしまうところだった。

でも、私にとってはとても大きな体験で、

自分にこれを思い出させてあげたいと思います。