2015.8.4
<p>書こうと思っていたのに、
なんだか文字にできないまま
日が経って、
書いておこうと思っていたことを忘れてしまった。
わたしは、カルチャーの講座のことに葛藤がある。
教えるのが楽しくないわけではない。
いや、楽しい。
でも、なにかやっぱり、「奪われる」ような感じがしてしまうことがあって
あってというより、その考えがふと浮かぶと
それがわたしを襲うかのごとくわたしの中を席捲するのだ。
そうすると、もう、攻撃を受けたような感覚になり、
猛烈に反撃したくなるし、攻撃したくなる。
怒りもわいてくる。
文化センターが悪い、
あの生徒が悪い、
と(自己嫌悪、自己憎悪を)外にばんばん投影する。
被害者でいたいという誘惑が、確かにあるんだ。
今日、運転しながら、これらのわいてくるものを出して見て、
でも、分離は起きなかったのだから、世界は無くて、
世界が無いのだから、怒っているその文化センターも、その生徒も、無いんだよね、
何にも起きてなんかいなかったんだよね、と自分に言い聞かせたら
良かった〜〜と心底思った。
分離が起きていなくて、世界なんて無くて、これらが夢、妄想で、実相である神は全く変わらずそのままそれだけがあるってことは、本当に救いだ。と。
起きて無い、何も無いのではなく、
神がある
から、
そして、わたしたちはいまも本当は離れてないことを
思い出せるてことが
本当に嬉しいことなんだ!</p>