2017.5.26
急に気になって皮膚科に行った。
(24日の予約をして行った。本当は今、展示の直前で、そんなことをしている時間はないから、7月にしたかったけどなぜだかできなかった)
mさんの知り合いの、形成外科もやっている先生を紹介してもらったから
そこで切ってもらうつもりくらいの軽い感じだった。
ただ、オペすると数日仕事できないからそれがなーくらいの”嫌だな”、があった程度。
ところが即刻大学病院に行け。となって
つまりはメラノーマという診断で、予定とは違ってしまった。
単にスケジュール的なことを行けっていうからいうこと聞きます、切ることになるみたいだけど、それも既定路線なら仕方ないですみたいに思っていたんだけど
”命”みたいなところで、
どんなことが起きてもいいですって言わなくちゃいけなくなってしまった
私は、聖霊に人生を捧げたのだった
だから、何を差し出されたとしても、御心のままに。
私の言っていた御心のままに、は
実は”オレの”御心のまま、だったのだ。。。
この、聖霊への、主権完全移譲のために聖霊がメラノーマを使っているよ、と
聖霊が微笑んで見守っているように今は思う。
それでもこう感じろ、こう考えろ、こうだろああだろみたいなのが
怒涛のように押し寄せているのはものすごくて
それに飛びつく気満々の力動もはっきりわかるし
じっとしているということがとても難しいことに感じた。
つまり、この時初めて、私はじっとしていよう、と
聖霊を信頼する、自我を通り過ぎさせる
というのは
本当に本当にじっとすることだということを
理解できたのだとわかった。
それから以降、じっとしていること、じっと見つめることに気をつけている。
この件を話そうという動きが出てくる。
三越に言った方が方がいいのかな(もしかして仕事飛ばしちゃうことになったら大変だから、早めに言った方がいいのではないか)
みほさんに言おうかな(病院紹介してもらったし、報告しないとだよね)
ワンダーランドの生徒さんにも言わなくちゃかな
いくちゃんに話そうかな(私はパニックになってないの、ということを言いたい)
みやくんに連絡しようかな(お別れ的なセンチメンタル)
三森さんに連絡しようかな(上に同じ)
必ず裏があるんだよね。
どこか、大げさにしたい、アピールしたい。
上に列挙したことはカッコに書いたようにわかるから、実行しないけど
大げさにしたいという欲求をじっと見つめて燃やし尽くしてもらうことができずに
母に向けて実現しようとする自分を見ている。
母には、なんか少し、私病人、を自分が出していくのがわかる。
大丈夫と言いながら、ヒロイックになっていたり
経過観察になるのよね、と言われたら
オペ後の経過観察じゃなく、癌の進行の経過観察だってわかってんのか、おら。みたいなのを言って、大変なんだ私は、みたいにしようとしている。
これを使って神ゾンビを避けようと。
まだ、途中。