2017.2.22

展示が迫っている。

毎度そうだけど、準備のエンジンがかかるのが遅くて

切羽詰まってる。

工程表、パンパン。

そんな今回、送られて来た図面はなかなかの一等地。

さらに、広告写真、採用されてもされなくてもいいと持って行ったものが

見事に広告のタイトル下のど真ん中に掲載されている。

準備うまく行ってないのに。。。

数作れる日数足りない、間に合わないのに。。。

こんなに周りの準備が揃っている。。。

こんな時に限って。

プレッシャーだ。

私、文句を思っている。不平不満、批判を思っている。

良いことと判断されることに、不平不満を言っている。

はたと思った。

なんでも、攻撃の好材料にするんだな。

文句を言ってりゃ、不平不満を言ってりゃ自分は安全だ、

という恐ろしく間違ったよくわからない狂気の信念を持っているんだ。

そこそく準備ができていても、きっと何か、攻撃の好材料を見つけようとする。

場所が良くて、広告も載っていても、

客が悪い、広告がダサい、日程が悪い、

さもなきゃ、自分を具合悪くして接客できないようにするとか、もうなんでもいいんだ。

そう見えて来た時、

「わたし、不幸に献身しているんだ」

という言葉が浮かんだ。

そうか、これが不幸に献身する、ということだ。

もうやめたい。もうやめたい。

広告が真ん中に載ったのを見た時、応援だな、と思った。

それは、uさんの応援と見ることもできるけど、

そういう姿をしている神の子兄弟、聖霊の応援だ。

図面を書いたのはあまり意思疎通をはかれていないsさんで

sさんがわたしを応援してくれている、という話はないけれど

聖霊は応援してくれている。

その応援は、決して売上のための応援なんかじゃなくて

わたしを愛しているよ、ということを伝えるそれだけの応援だと思った。

それを思った時、不平不満ばかり思っている自分が見えたんだ。

正気に戻りたい。

本当に助けてほしい。

かすかに準備がうまく間に合うように、ということを思っている、

それのことを助け、と見ようとする気持ちがあることをわかりながらも

正気に戻る助けだけを求めたいと思う。

 

そして突然理解がやって来た。

全て救済者なんだ。

救済に、救済者に、文句や不平不満や批判を言っていたんだ。

全てが救済だったんだ。

アーーー、胸がいっぱいだ。

正気になりたいと、思い出させてくれるための全てだ。そして、そうであることがありがたい。

ただただ、全てを判断せずに受け入れて、やることをやるだけ。

ということは、だからいつも幸せでいていいのだ。

 

さっきまで号泣で、溢れて溢れて仕方なかった。

何を見ても応援されている、愛されていることを感じるし

不平不満ばかりの自分がわかる。

本当に不平不満ばかりだよーと言いながら泣いていた。

取り消されたかどうか、わからないけど、今、だいぶ放心状態だ。