美徳から

私は実にケツの穴が小さい人間で

「私がいるおかげだろ!そう言えよ!」

とよく思う。

でもそれを自分からは言わない。

私がこんなふうにこんなふうにしたという手柄がある

という自己アピールはみっともないと思っている。

でも、それは実際認められるべきで

公表されるべき、と思っている。

だから自分の働きが話に出てこないと

猛烈に憤る。

労われもせず、認められもせず、感謝もされず

ただいいように使われて

握り潰されたと感じていて

くそっ

と思う。

 

 

ミーティング中にこの怒りが沸沸としたから

そのまま話した。

美徳から、自分はこんなふうに役に立ったんだと言わないでおく

っていうのがある

自分で言っちゃえばいいとのりこさんに言われて

確かに、”美徳から自己アピールはしない”ことにしていながら

怒る、という自分の狂いっぷりを

やっぱりまだ"美徳"の方が強いようで

自分の働きを自分が認めきれてないというか

肯定が低くて

やっぱり未だ噴出がある。

事実を事実として話すということすら

控えめにしたり、

美徳から、自分がしたということを割愛したりする心の力動があって

自分の手柄話を

(もちろん手柄話と思ってしてはいないと思うけど、

私からはこういう表現になっちゃう)

普通に話すのりこさんに

いつでも話の中心は自分なんだね、という怒りも出る。

まぁ、のりこに対してだけじゃないけども。

もちろん、自分を話に出されたら満足するなんてことは

実際には自分の真の望みではないことは見えてはいる。

こう書いてみても、若干自分でも見切れていない感じがあって

この件について、もっと詳細に、ハッキリと捉えて

その腹の中を隠さず大公開していきたいのでここに書いていく。