仕草、芝居
入った頃、職場の人たちは
親切で優しい人たちでした。
2月の半ばくらいからか
批判や重箱の隅をつつくような様子が
展開されるということが起きてきました。
自分も絡まれていて
嫌な気持ちになることも出てきました。
やっぱりこの世界に手を出してなんとかしたいし
言いたい、言ってやりたいというのが出る。
この世界のレベルでの解決を求める
終わるために、ただただ見ようと
見尽くそうと
「私」を棄てることだけを
イエスを頼ることだけを決意し続けている。
「私」を棄てることだけを決意するためには
職場の人たちの重箱の隅をつつくような仕草が役立つということなのだろうなと思う。
言葉にすると、忍耐するというようなことかな。
出すもの出すために。
そのためにしか芝居(=世界)は存在しない。