2108.5.9

仕事を期間限定でもいいから止めてみるように

と言われて、2月ごろから

そのように少しずつしてきた。

当初ほどの強烈な怖さではなくなっているけれど

やはり時々、これをやるのはどうだろう、というような考えが押し寄せる。

その都度、あー、違うんだった違うんだった、、、

と立ち止まるような感じのことが今朝もあった。

 

なるほど、わたしは

自分が自分の手で、お金を作り出すことができる(造幣局という意味ではない 笑)

と思っているんだなぁと見えた。

それが必ず実を結んでいないこともあるとしても

それでも、やれば何かにはなると信じている。

つまり、源になれる、と信じている、思っているんだなぁ。。

そして、それのみが「得る」「生きる」「存在する」方法だとも信じていて

それゆえ、「何もしない」、自発的に動かない、というようなことは

ダメなような感じがしてしまうし

不安になるように感じてしまう。

なんなら苦痛 苦笑

今までなら普通に反応が良かった商品が反応しないという采配に喘ぎ

次の手を打ちたいと思ってしまう。

 

与えられている、ということを真に知る必要が本当にあるな、と思った。

 

 

以下、のりこさんからのメールの引用です。

自分のためにここに記しておきたい。

 

『自力で生きる「わたし」がえぐり取られて

神により、養われ生かされている神の子が、その自分であることを受け入れるには

ある程度のレッスンシナリオじゃないと引き退がらないんでしょうね』

 

『絶対に大丈夫なんだよ。

すでに成された、約束された道だから』

 

『神を一番にするか、否か』

 

 

ひれ伏して従っていきたい。

 

 

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